第74回福岡国際マラソンが12月6日、平和台陸上競技場を発着点に、快晴の空の下、気温13,5度、無風の絶好のコンディションの中開催され、社会人1年目、2度目のマラソンの若武者、吉田祐也(GMOインターネットグループ)が2時間7分05秒の日本歴代9位タイの好タイムで制し、2024年パリオリンピック代表候補に名乗りを上げた。
レースはビダン・カロキ(トヨタ自動車)がペースメーカーを務める1㎞2分58秒設定の集団に、吉田、藤本拓(トヨタ自動車)、神野大地(セルソース)、設楽啓太(日立物流)、竹ノ内佳樹(NTT西日本)らが付き、先頭集団を形成、大塚祥平(九電工)、川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)、作田直也(JR東日本)福田穣(NNランニングチーム)らは、ジェームス・ルンガル(中央発條)がペースメーカーを務める1㎞3分00ペースの第二集団を選択。有力ランナーの一人だった岡本直己(中国電力)はアクシデントが有ったのか、5㎞地点で早くも第二集団から遅れ始めた。
先頭集団の10㎞通過タイムは29分53秒、第二集団とは7秒差と、序盤、カロキは設定よりはやや遅めに入り、第一集団の選手達の走りが落ち着いたと見ると、ここから当初の設定タイムに近付けていく巧みなペースメイク。この序盤に無理をしなかった事が、高速レースの経験がない吉田に余裕を齎し、快走を引き出した一つの要因として挙げられるだろう。
この間、7㎞付近で第2集団にいた大塚が転倒するも、すぐに集団に復帰、11㎞過ぎでは同じく第二集団で福田が転倒し集団から遅れるアクシデントが発生。12㎞過ぎには川内もこの集団から遅れ始めている。
10㎞以降ペースが上がり始めた先頭集団では、15㎞を過ぎて神野が脱落。ペースメーカ―を除く7人に絞られて、中間点を1時間2分55秒と、2時間5分台を窺うハイペースで通過。後続の第二集団を25秒引き離している。
22㎞過ぎではここまで先頭集団に踏み留まっていた佐藤諒太(警視庁)、23㎞で監物稔浩(NTT西日本)、25㎞手前で設楽が次々と脱落。25㎞地点で集団は、吉田、藤本、竹ノ内、サイラス・キンゴリ(ひらまつ病院)の4人に絞られた。
25㎞過ぎから追走が苦しくなっていた竹ノ内は26㎞の給水手前でキンゴリと接触、動揺があったか給水にも失敗、27㎞辺りから徐々に遅れ始めた。
30㎞の通過は1時間29分31秒、カロキがレースから離れ、吉田、藤本、キンゴリの3人の勝負になった。ここで藤本が前に出て、カロキの作ってきたペースを維持、31㎞手前では、藤本のペースがやや緩んだと見た吉田が変わってペースアップを開始。動きを変えるような、シフトチェンジを伴う派手なペースアップでは無く、体力のロスを極力避け、少しずつアクセルを踏み込むような滑らかな加速で、徐々に藤本、キンゴリとの差を開けて行く。キンゴリは諦めてしまったのか、31㎞を過ぎて突然コースを離れ、リタイヤ。
先頭をひた走る吉田は、32㎞手前の香椎の折り返しポイントで藤本との差を5秒に拡げ、3番手には38秒差で竹ノ内が通過したが、足取りは重い。作田が引っ張り始めた、大塚、寺田夏生(JR東日本)、マイケル・ギザエ(スズキ)らの4位集団は竹ノ内から12秒とその差が詰まって来た。
藤本のペースダウンで独走態勢を築いた吉田は、30㎞からのスプリットタイムは15分06秒とほぼ1㎞3分ペースを維持していたが、35㎞から徐々に発汗が目立ち、表情も険しくなってきた。3分10秒前後にラップが落ちると、次の1㎞では3分ペースに又引き戻すといった具合にペースが乱れ始め、2000年に藤田敦史(当時富士通)がマークした、2時間6分51秒の大会日本人歴代最高タイムを上回れるかどうかがレースの焦点になってきた。
後方では、第2集団からからペースアップを図り、抜け出した作田が藤本を交わして2位に浮上。大塚、ギザエが並走で作田を追い、更に単独走で寺田が続く隊列に変わった。
39㎞を過ぎるとペースが落ち始めた作田を、大塚、ギザエが交わし、更に大塚がギザエを突き放し、単独2位に浮上した。
40㎞地点の吉田の通過タイムは2時間00分15秒、この間の5㎞のスプリットは15分38秒とタイムを落とし、藤田のタイムを上回るのは厳しくなってきたが、2時間6分台の可能性は残された。ここからの1㎞で、吉田は再び3分1秒までタイムを戻す驚異的な粘りを発揮したが、競技場直前の緩やかな上り坂にペースアップを阻まれ、2時間7分05秒でゴールテープを切り、初優勝。
吉田は惜しくも2時間6分台を逃しはしたが、その能力の高さをしっかりと印象付けた。2度目のマラソンでの7分台は、3度目で2時間7分17秒を同じ福岡で記録した大迫傑(nike)や、4度目で2時間7分27秒をやはり同じ福岡でマークしている服部勇馬(トヨタ自動車)の東京五輪代表組の軌跡を凌ぐ偉業で、高く評価できる。まだ23歳と若く、今後どこまで成長していくか非常に楽しみだ。
2位には2時間7分38秒で大塚が入った。事前に目標は2時間7分台と語っており、正に有言実行。序盤での転倒をものともせず、レース中盤から後半に押し上げて行き、40㎞以降の2,195㎞のラップは6分41秒で出場選手中最速と、持ち前のスタミナを存分に発揮。また課題であった1㎞3分の速いペース設定も見事に対応してみせた。今後は補欠候補選手となっている東京オリンピックのマラソンへ向けて準備を整えて行く予定だ。
3位には寺田が2時間8分03秒で入り、昨年の5位に続く連続入賞。自身初のサブテンは9分台を飛び越えて8分台、今年のびわ湖で失敗レースに終わり、後輩の作田に遅れを取った苦い経験を、好走に変えた。この走りを続けて行く安定感が今後の課題で、次走でマラソンランナーとしての真価が問われる事になりそうだ。
ギザエが2時間8分17秒の4位に続き、途中2位まで浮上した作田は2時間8分21秒の自己新で5位、びわ湖毎日マラソンに続く2度目の8分台は本物の実力が付いてきた証だ。最後はやや疲れが出てしまったが、ペースの落ちる30㎞からの5㎞を、優勝した吉田を上回る15分04秒でカバーした積極性は、必ず次のレースに繋がるはず。更なる成長が楽しみだ。
中盤まで果敢に先頭集団で勝負した竹ノ内が2時間9分31秒の自己新で6位。集団から離れた後も粘りのレースを展開し、一度は9番手まで落とした順位を最後は3つ押し上げてゴールした。後半の落ち込みを、いかに最小限に食い止めて行けるかが今後の課題として残った。
30㎞過ぎまで優勝を争った藤本は勝負所で失速し、2時間11分27秒の12位。レース後、3週間前から股関節に痛みが出て、強化練習を積めていなかったと明かした。
序盤早々に集団から遅れて心配された岡本は懸命な追い上げを見せ、2時間11分09秒の10位、福田は転倒の影響が大きく、精彩を欠く走りとなって2時間11分52秒の13位、川内は2時間13分59秒で19位、神野は途中リタイヤとなった。
また、リオデジャネイロオリンピック代表で、今回のマラソンを以って引退を表明していた佐々木悟は2時間14分29秒で最後のレースを終えている。
開催前は東京オリンピック代表の服部の欠場で盛り上がりに欠けるかと心配されたが、優勝した吉田や、2位の大塚、5位の作田と言った次世代を担う選手達の好記録に湧き、寺田、竹ノ内ら中堅の域に差し掛かった選手も自己新をマークするなど奮闘を見せた。
同日にスペインで行われたバレンシアマラソンでは今年のびわ湖毎日で優勝を飾ったエバンス・チェベト(ケニア)が2時間3分00秒で優勝するなど4人が2時間4分を切り、世界との差は近付いては又離されてを繰り返しているが、今大会の結果を見る限り、日本の長距離選手層も確実に厚みを増しており、またレベルも向上している。陸連の地道な長距離強化の取り組みは決して間違っていない、そう思わせるに十分な、実りある第74回福岡国際マラソンだった。
第74回福岡国際マラソン結果
①吉田祐也(GMO) 2時間7分05秒
②大塚祥平(九電工) 2時間7分38秒
③寺田夏生(JR東日本) 2時間8分03秒
④マイケル・ギザエ(スズキ) 2時間8分17秒
⑤作田直也(JR東日本) 2時間8分21秒
⑥竹ノ内佳樹(NTT西日本) 2時間9分31秒
⑦ポール・クイラ(JR東日本)2時間9分57秒
⑧吉岡幸輝(中央発條) 2時間10分13秒
⑨田中飛鳥(ひらまつ病院) 2時間11分07秒
⑩岡本直己(中国電力) 2時間11分09秒
以下主な選手の結果
⑫藤本拓(トヨタ自動車)2時間11分27秒、⑬福田穣(NNランニングチーム)2時間11分52秒、⑰設楽啓太(日立物流)2時間13分39秒、⑲川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)2時間13分59秒、⑳佐々木悟(旭化成)2時間14分29秒、㉒監物稔浩(NTT西日本)2時間15分46秒㊴園田隼(黒崎播磨)2時間20分02秒
※神野大地(セルソース)佐藤諒太(警視庁)サイラス・キンゴリ(ひらまつ病院)は途中棄権
文/芝 笑翔