2月28日に開催された第76回びわ湖毎日マラソンでは、鈴木健吾(富士通)による日本人初の2時間4分台達成や、作田将希(JR東日本)の初マラソン日本記録更新など様々な記録が誕生した。大偉業から怪記録まで、ここではこうした記録にスポットを当て、少々掘り下げてみたい。
記録① 鈴木健吾、2時間4分56秒の日本新
昨年の東京マラソンで大迫傑(nike))がマークした2時間5分29秒を上回り、日本人初の4分台。2003年のベルリンマラソンでポール・テルカド(ケニア)が2時間4分55秒で人類史上初めて4分台を記録して以降、17年半遅れで58人目の到達者となった。達成者を改めて国別に見てみると、ケニア21人、エチオピア33人、トルバーレーン1人、トルコ1人、ベルギー1人、日本1人となる。このうちトルコのカール・キゲン・オズビレンはケニア出身、ベルギーのバシル・アブディはソマリアからの移民で、サブサハラアフリカン以外での達成者は、モロッコ出身で現在はバーレーン国籍のエルハッサン・エルアバシ以来2人目となる。
今回の鈴木は後半ハーフを1時間2分20秒でカバー、前半ハーフの1時間2分36秒を上回るネガティブ・スプリットとなった。ネガティブ・スプリットでの日本記録は、2000年福岡国際の藤田敦史(当時富士通、2時間6分51秒、前半ハーフ1時間3分28秒、後半ハーフ1時間3分23秒)、2018年シカゴでの大迫(2時間5分50秒、前半ハーフ1時間3分19秒、後半ハーフ1時間2分31秒)に次いで3例目。これまでの後半ハーフ最速タイムも、2018年シカゴの大迫だった。
記録② 作田将希が2時間7分42秒で初マラソン日本新
従来の記録は2003年のびわ湖で藤原正和がマークした2時間8分12秒、19年ぶりの更新となった。また足羽純実(Honda)が2時間7分54秒、山下一貴(三菱重工)が2時間8分10秒と、この二人も藤原の記録を上回った。惜しかったのは土井大輔(黒崎播磨)で2時間8分13秒と、藤原の記録に1秒及ばなかった。
記録③ 完璧なラップタイムを刻んだ細谷恭平(黒崎播磨)
マラソンは1㎞3分のペースで寸分違わず42,195㎞を走り切ると、そのゴールタイムは2時間6分36秒となる。5㎞毎のタイムは15分ちょうどで計算もしやすいから、という訳ではなかろうが、以前よりペースメーカーを置くレースでは設定タイムに用いられることが多かった。このタイムより早いか遅いかで、高速レースか、そうでないかの基準のようにもなっている。今大会では第二集団の設定ペースとして採用された。
一口に1㎞3分といっても後半はタイムが落ちる傾向もあり、また優勝が懸かってくればペースアップもするので、最後まで一定のペースで押し切るのはこのペースでなくとも難しいものだ。 今大会、2時間6分35秒を記録して3位に入賞した細谷の5㎞ごとのラップタイムを見て頂きたい。
距離 | 5km | 10km | 15km | 20km | 中間点 | 25km | 30km | 35km | 40km | ゴール |
タイム | 15″04 | 30″02 | 45″04 | 1’00″05 | 1’03″21 | 1’14″57 | 1’30″02 | 1’45″01 | 2’00″04 | 2’06″35 |
5km毎ラップ | 15″04 | 14″58 | 15″02 | 15″01 | 14″52 | 15″05 | 14″59 | 15″03 | 6″31(2.195km) |
20kmから25㎞の5kmのスプリットが若干早くなっているが、この区間は道幅がそう広くないにも関わらず21㎞過ぎに折り返しがあるので、大集団になると隊列が長く伸びやすくなる。今大会の第2集団は人数も多く、そうした隊列の伸び縮みのなか集団後方から前方へ移動したためにタイムが早くなったものと思われ、誤差の範囲内といっても良いだろう。
細谷は30㎞以降は集団から抜け出し、第一集団から落ちてきた選手を一人一人拾って行きながら、こうしたケースで陥りがちなオーバーペースにはならず、また後半の落ち込みも回避。1㎞3分ペースから+-5秒の範囲で最後まで押し切る理想の走りを実現したと言えよう。
記録④ 井上大仁(三菱重工)が2度目の2時間7分切り
井上が2時間6分47秒で、2018年東京マラソンで記録した2時間6分54秒に次ぎ、2度目の2時間7分切り。日本人で達成しているのは、大迫傑(2018年シカゴの2時間5分50秒、昨年東京での2時間5分29)のみで、高岡寿成(元カネボウ)、設楽悠太(Honda)も達成していない。目立たないが、素晴らしい偉業だ。
記録⑤ 小椋裕介(ヤクルト)、菊地賢人(コニカミノルタ)が2走連続2時間8分切り
小椋は昨年東京の2時間7分23秒に続いて今回も2時間6分51秒、菊地も小椋と同じく昨年東京が2時間7分31秒、今回2時間7分20秒と立て続けの好走。日本人選手のフルマラソン2回連続での8分切りは有りそうでなかなか出ない記録で、これまでは高岡の4回連続(2002年シカゴ2時間6分16秒、2003年福岡国際2時間7分59秒、2004年シカゴ2時間7分50秒、2005年東京国際2時間7分41秒)と大迫傑の2回連続(2017福岡国際2時間7分19秒、2018年シカゴ)の2例しかなかった。前走の東京で2時間6分45秒を記録していた高久龍(ヤクルト)は2時間8分5秒で届かず、下田裕太(GMOインターネットグループ)も東京の2時間7分27秒から今回は2時間8分00秒とあと1秒足りなかった。
昨年の東京から8分切りの選手が増加傾向に有るので、今後はこの記録を達成する選手も増えていくものと思われる。
記録⑥ 川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)14回目のサブテン達成
川内が2時間7分27秒をマーク、2019年びわ湖で2時間9分21秒を記録して以来の14回目のサブテン達成。勿論ぶっちぎりの日本記録で、川内に次いで多いのが高岡の6回。その突出度がお判り頂けるかと思う。3月5日に34才を迎えるが、アシックス製厚底シューズという新たな武器を手に入れ、どこまでこの記録を伸ばせるか楽しみだ。
また、8分台の自己記録のある選手が8年振りに更新(これまでの記録は2013年韓国・東亜マラソンで記録した2時間8分14秒)というのもこれまでにない記録。8年ぶりの9分切りは、藤原正和が2003年びわ湖での2時間8分12秒から2013年びわ湖で2時間8分51秒を記録するまでの10年に次ぐ長期スパンでの記録となった。
記録⑦ 土方英和(Honda)、聞谷賢人(JR東日本)が初マラソンから連続でのサブテン達成
土方が2時間6分26秒で昨年東京での2時間9分50秒に続き、また聞谷も昨年の別大でマークした2時間9分07秒に続く2時間7分26秒で、初マラソンから連続でサブテンを記録。 これは初マラソンから5回連続の高岡寿成(初マラソン2001年福岡国際2時間9分41秒、2002シカゴ、2003福岡国際、2004シカゴ、2005東京国際)、3回連続の五十嵐範暁(当時中国電力、1998福岡国際2時間9分38秒、2000福岡2時間9分26秒、2001シカゴ2時間9分35秒)、設楽悠太(2017東京2時間9分27秒、2017ベルリン2時間9分03秒、2018東京2時間6分11秒)、2回で現在継続中の吉田祐也(GMOインターネットグループ、2020別大2時間8分30、2020福岡国際2時間7分05秒)に次いで5人目、6人目の達成となる。吉田を含め、高岡の5回連続の更新を目指してもらいたい。
記録⑧ セルオド・バトオチル(モンゴル・NTN)、39才でサブテン達成
モンゴルのバトオチルが2時間9分26秒でサブテン達成。海外には44才で村山謙太を破り2018年ゴールドコーストマラソンを2時間9分49秒で制したケネス・ムンガラ(ケニア)みたいなとんでもない選手もいるが、おそらく日本の実業団所属選手が国内の大会で記録した最高齢での達成と思われる。川内が今後目指していく記録に含まれてくるのでは。
記録⑨ 中村高洋(京セラ鹿児島)、37才で初のサブテン達成
川内がプロランナーに転向した後、最強の市民ランナーとの呼び声が高かった中村が2時間9分40秒で遂にサブテンを記録。37才での初サブテンは昨年の東京を2時間8分37秒で走った岡本直己(中国電力)の35才を上回る日本人最高齢での達成となる。名古屋大卒、京セラではフルタイム勤務で、インクジェットプリンタの開発を手掛ける研究者との事。昨年は実業団ハーフで上位に入り、ハーフマラソン世界選手権代表に選ばれながらコロナウィルスの世界的な感染拡大の為中止となり、「幻の代表」に終わっていた。
記録⑩ 初マラソンサブテンを6名が記録
ここからは個人では無く、大会の記録。
記録②の項で紹介した作田将、足羽、山下、土井の他、2時間8分53秒を記録した久保和馬(西鉄)と、2時間9分27秒の片西景(JR東日本)の二人も初マラソンでサブテンを記録。今大会では計6名が過去14名しか達成していなかった快挙を成し遂げた。
一つの大会で複数の初マラソンサブテン達成者が出たのは、記録⑥で紹介した聞谷と、湊谷春紀(当時DeNA、現NTT西日本)が2時間9分19秒を記録した昨年の別大以来2度目。
記録⑪ 42位までが2時間9分台
今大会では2時間9分54秒記録した42位の北島寿典(安川電機)までが2時間9分台。これまでは、昨年東京の28位までが国内大会最多だったが大幅な記録更新となった。これは、国内選手がレベルアップし、層が厚くなった事を端的に示しているのだが、今年はコロナ禍で例年この時期に開催している別大マラソンが来年に、東京マラソンが今秋に延期となり、今大会に出場選手が集中した事も影響していると思われる。
そこで、昨年の別大、東京、びわ湖の2時間9分台選手の総計と比較してみる。別大では10位、びわ湖では8位までが9分台で東京と合わせて総計46名。しかし、ここには今年のびわ湖では招待されなかった外国人招待選手が、東京で9人、別大で4人、びわ湖で4人含まれている。46人からこの17人を引くと日本人選手は29人が9分台。今大会は国内所属の外国人、サイモン・カリウキ(戸上電機製作所)、バトオチルを除き、日本人選手の9分台は40人となり、昨年同時期に行われたすべての大会より11人多く、1年間という短期間にも日本人選手の競技レベルの向上が見られた事が改めておわかり頂けたかと思う。
これだけの選手が2時間9分台を記録した大会は、ワールドマラソンメジャーズでも例がない。またケニア、エチオピアはオリンピックや世界選手権でも国内大会で選考する方式をとっていないので、やはりこれだけの選手が9分台を記録した大会は類を見ないものであったと考えられる。
ただ、ここまで9分台を記録する選手が多くなると、今まで一流選手の称号として用いられてきた「サブテン」もその役割を終えたようにも思われる。今後は「サブナイン」、「サブエイト」が選手達の目標となっていくのだろう。
ここまで第76回びわ湖毎日マラソンのリザルトから数々の記録をピックアップしてみたが、このようにマラソンはリザルトを精査したり、過去の大会や、他の大会の記録と比較をしてみたりと、競技が終わった後も様々に楽しむ事が出来るのも魅力の一つで、同時に奥深いところでもある。 ここに紹介した記録の他にも、まだ誰も気付いていない意外な記録が眠っているのかもしれない。 皆さんもご自分流の記録の楽しみ方を探してみては。
文/芝 笑翔