2020年6月5日。コロナウィルスの感染拡大に伴い、政府から発令された1回目の緊急事態宣言により競技活動の停止を余儀なくされていた陸上競技男子100mの山縣亮太(SEIKO)は、宣言が解除されてトレーニングを再開したその日、密着取材を受けていたNHK「プロフェッショナルの流儀」のディレクターからの1年後の自分はどうなっていたいかという問いに対し、自己ベスト(当時10秒00)を出していたいと答えていた。更に理由について問われた山縣は、その時が今までの自分より更に深く100mについて知る事が出来た時だと思うから、そういう自分でありたいと付け加えた。
オリンピック参加標準記録を突破するでも日本記録を出すでもなく、より100mを知っている自分でありたいというその答えにこそ、走る時も、体感トレーニングを積むときも、一つ一つの体の動きを撮影された動画で確認しながら自身と向き合い、それまでに気付くことのなかった自身の中に眠るポテンシャルを引き出すには、より速く走るには何が必要なのかを追求してきた山縣の競技哲学が集約されている。それは他の誰かが作った記録を破る事で得られる評価に惑わされる事無く、自身の経験により積み重ね磨き上げられた感覚を重視し、常に過去の自身を超える事に心血を注いだ果てに辿り着いた、自分を変えられるのは自分だけ、というある意味達観した境地でもある。
そんな山縣が、今年に入り今まで受けた事のなかったコーチによる指導を、慶応大学コーチの高野大樹に依頼した。かつて、山縣は自身がコーチを付けない事に関して、「一流のコーチに指導を依頼したらもっと速く走れるのではないか」という思いを吐露した上で、「それは自分がここまで積み上げて来たものをゼロにして、誰かが作り上げてきた理論を自分の身体で実践しているだけで、そうして走って得た結果は自分のものと言えるのか」といった意味合いの言葉を残している。
山縣のこの心境の変化には、2018年のジャカルタアジア大会で10秒00を記録し、銅メダルを獲得して以降、腰痛や肺気胸、足首痛、膝痛と故障に見舞われ、自身が望む結果が得られていない事も影響しているだろう。しかしながらこの決断の底には、ここまで自己研鑽を積み重ねる事で培ったきた速く走るための方法論が自己満足になっていないか、という自身に対する問題提起が有ったのではないだろうか。それは指導を受けると言うよりも、動画を繰り返し確認する事で得られる自身の情報だけでなく、自身の殻を破るためにより客観的な視点でのアドバイスを希求していた、と言った方が適切なのかもしれない。
山縣の頑なとも言える速く走る事への探求姿勢を、曲げる事無く共に考えてくれる高野という心強い存在を得て、「100mについてより深く知る事が出来た時」を迎える下地は整っていた。
そして6月6日、鳥取・ヤマタスポーツフィールドで行われた布勢スプリント男子100mにおいて、山縣は自己ベストをマークした。9秒95のそのタイムは、サニブラウン・ハキーム(当時フロリダ大、現タンブルウィードTC)が2019年にマークした9秒97の日本記録を2年振りに塗り替える偉業でもあった。
NHKの取材から1年と1日。1日過ぎてはしまったが、山縣にとっては、1年後の自分像を実現したことの方が、日本記録よりも嬉しかったのではないだろうか。
文/芝 笑翔
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