11月27日、八王子市上柚木公園陸上競技場において八王子ロングディスタンスが開催され、男子10000mG組からA組まで全7レースが行われた。期待されていた来年7月に開催が迫るオレゴン世界陸上の参加標準記録、27分28秒00を突破する選手は現れず、その点からは今大会の位置付けから目標には達し得なかったが、B組から8名A組から14名と計22名の日本人選手が28分切りを果たし、引き続き男子長距離陣の競技レベルの向上と、「世界の舞台を狙える位置に有る選手」の層に厚みが増して来ていることが実感できた大会となった。
C組 : 服部勇馬が五輪後初となるレース
目標タイムが28分10秒に設定されたC組には、東京五輪マラソン代表の服部勇馬(トヨタ自動車)が出場。レース途中熱中症に見舞われた五輪後初の実戦となった。それまでの組で選手たちを悩ませた風は収まったものの、時間的に冷え込みが増し、ケニア人ペースメーカが機能しきれず予定のペースより遅めの展開となった。そのなかで決して無理はせず、レース中盤から少しずつ集団での位置取りを上げて行き、ペースが上がりほぼ設定通りのペースに戻ってからも、終始余裕を持って対応。この組を28分10秒57で走り1着となった大塚倭(NTT西日本)の抜け出しには反応せず、残り1周となったところではトヨタ自動車の後輩、佐藤敏也に声を掛けスパートを促し、28分22秒86でゴール。
こうしたレース中の動きから、自身の現時点でのレース中の身体の反応や、スピードへの対応を把握する事に重点を置いていたレースだったことが窺われ、当面の目標となるニューイヤー駅伝に向けては上々の「試運転」となったようだ。
B組 : ケニア人選手とのガチンコ勝負でオレゴン世界陸上標準記録切りを目指す
相澤晃(旭化成)、伊藤達彦(HONDA)の東京五輪10000m代表に、日本歴代5位の27分29秒74を自己ベストに持つ鎧坂哲哉(旭化成)、昨年の日本選手権10000mで歴代6位の27分34秒86をマークした河合代二(トーエネック)、近年は不振に喘ぎ復活を期す前10000m日本記録保持者の村山紘太(GMOインターネット)、10000mの実績には乏しいが5000mの東京五輪代表でスピードのある松枝博輝(富士通)に、九州実業団駅伝では相澤を破る金星を挙げた期待の若手田村友祐(黒崎播磨)ら多彩な顔触れのB組は、ケニア人実業団選手と競り合う事を意図し敢えてペースメーカは置かれない駆け引きもありながらの「ガチンコ勝負」でオレゴン世界陸上標準記録の27分28秒00の突破を目指す、真の実力が試されるレースとなった。
昨年の日本選手権・長距離の10000mは序盤からB・コエチ(九電工、今大会には出場せず)が65秒の五輪参加標準ペースで安定した引っ張り役を果たし、相澤の日本記録、伊藤の標準記録突破に多大な貢献を果たしたが、この日のレースではM・サミュエル(カネボウ)が飛び出しの気配を見せたものの、単独走が長くなるとペースを下げるなど集団からの出入りを繰り返し、カネボウの同僚L・キサイサに先頭を譲るとまた一度はペースは上がるも他のケニア選手は相手にせずと安定したハイペースにはならず、駆け引きが有る中での1周67秒台と標準突破を狙うにはやや厳しい前半の流れとなった。
こうしたスローの展開に拘わらず、相澤をはじめとする日本人選手は常にケニア人選手を前に置きながら集団の真ん中から後方でペースの上げ下げによる消耗を避ける事を選択し、ペースを自ら作りに行くような動きは見られず、却って集団は縦長に伸びたかと思えば差が詰まって真ん中付近が芋の子を洗うように過密になるなど、タフな展開の様相を呈してきた。先頭の5000mの通過は13分52秒、日本人先頭は集団の4番手辺りに上がってきた若手の田村が付けている。
標準記録ペースから8秒遅れたが、それでもなかなかペースは上がらない。残り3000mを切る辺り、27分40秒台の声が掛かるとJ・ムオキ(コニカミノルタ)が主導権を握りペースも1周65秒から66秒で推移、日本人選手では伊藤、太田智樹(トヨタ自動車)、鎧坂が集団での位置取りを前方に変え対応したが、粘りを見せていた松枝、田村は苦しくなり、相澤は遅れ始めた。残り5周を過ぎるとムオキ、サミュエルの直後に付けていた伊藤が位置取りをやや下げ、入れ替わるように太田が前に出る。
この時点で集団はケニア人選手8人に太田、伊藤、鎧坂は伊藤の更に後ろで懸命の粘りを見せる。
8800mから9200mのラップが64秒7に上がり、ムオキ、サミュエル、ここまで集団の中に潜んでいたE・ケイタニー(トヨタ紡織)の3人が抜け出しに掛かり、後方とは3mほどの間隔が開いた。太田は5番手で必至に食い下がり、伊藤は追走集団の最後方。ここはスパートに備えて溜めたのか、瞬時の対応は見せなかった。
先頭のムオキのラップが62秒台まで上がりラスト1周を26分29で通過、伊藤は26分32秒で4番手、太田が続く。伊藤は昨年の日本選手権、今年5月の日本選手権でのラスト1周が59秒から58秒。一時は難しいと思われた標準記録突破だが、届くかどうかというところまで迫っている。今や「伝家の宝刀」といった趣の必死の絞り出しで前3人との差を詰めにかかり、太田は引き離された。
1着は最後の直線の叩き合いを制したケイタニーで27分28秒25、2着にムオキ、3着にサミュエルと続き、伊藤は4番手の27分30秒69でゴールに飛び込むと同時に倒れ込んだ。
太田は27分33秒13で5着、鎧坂が27分41秒78で日本人3番手、ベテラン健在を印象付けた。後半しっかりまとめ切った松枝が27分42秒73で続き、村山が27分45秒09と実力の一端を示す久々の快走で日本人5番手に入り、前半に自重気味だった日本人選手の中に有って積極的な姿勢が光った田村が27分48秒42と粘り、標準突破が期待された相澤は後半に疲れて27分58秒25と本来の実力を発揮するに至らず、力なくゴールした。
伊藤達彦 日本人最高記録も世界陸上標準記録までのあと2秒
伊藤は世界陸上標準記録の突破こそならなかったが、コエチが正確なラップを刻み、日本人選手が入れ替わり立ち代わり先頭を交代しながらラップを維持して前半で貯金を作り、後半疲れを見せながらもスパートの爆発力で五輪標準記録を突破した昨年の日本選手権、前半のペースが遅く、ケニア人選手たちの駆け引きによるペースの上げ下げも伴い難しいレースとなりながら、きっちりと後半にペースを上げて、27分30秒で走り切った今回と、異なるレース展開にも対応できるだけの幅の広さを見せ、安定感も増して来ている点は評価ができる。
その反面、レースの中で27分28秒までのあと2秒を詰め切れなかったところに、世界との力の差を感じてしまう事は否めない。この2秒を詰め切れていれば、標準突破選手として来年の日本選手権に出場でき、勝負に徹して3位でも内定を得られる立場となっていたが、逃した事によって今後の青写真も違ったものとなっただろう。
日本選手権に向けて一度ピークを作った後で、短期間で世界選手権に向けてもう一度作り直すことは容易いことではないと想像できる。こうした本番に向けての余裕度、消耗度の違いが、国際舞台での外国選手との力の差となって表れているようにも思われる。
ラスト2周で先頭が62秒台までラップを上げた際、それが精一杯だったのかもしれないが、残り1周に備えて足を溜めていたようにも見え、2秒届かなかった結果を思うとここが何としてもという局面で、この段階で勝負に打って出る手も有ったと思う。内容の濃い走りを見せただけに、こうした難しいレースの中でも記録という実を取るには、残りの体力を推し図る事に囚われず、レースの流れを読み切る総合的な「勝負勘」をもう一段階高めていく事が今後の課題だろうか。
相澤は東洋大時代から、能力の高さは誰もが認める存在でありながら、一つ勝負レースを終えるとその回復に手間取るのか、レース間隔を開けても好走が続かない事が多々あり、こうした一面が改善されなければ、国際舞台で安定した成績を収めるのは厳しいように思う。
コンディションさえ整えば、ワールドクラスに最も近い走りを見せる事は出来るので、相澤に欠けているのは継続して走り込みのできるだけの身体の強さ、逞しさだけのように思う。
若手の太田は後半の、田村は前半の積極的な走りが光った。太田の記録は日本歴代6位、4月の兵庫リレーカーニバルで27分56秒49をマークしていたが、今期の躍進は目覚ましい。田村ともども、世界陸上の代表争いに割って入るだけの存在に浮上してきたといえるだろう。
この冬、ロードレースをこなしながら、来年の日本選手権までにどれだけ力を付けてくるか、楽しみだ。
A組:マラソン2時間6分台の記録を持つ井上大仁が貫禄の走り
最終A組はペースメーカーのJ・ディク(日立物流)が設定よりやや速めで前半5000m通過13分56秒と絶妙なペースメイクで淀みなくレースが流れ、7000mを過ぎても20人ほどが大集団を形成し、この時点で27分台続出の可能性が高まった。
動きが軽く、好調さを感じさせていた塩尻和也(富士通)が、8000m手前辺りからディクに並びかけるなど、ペースアップを要求するような素振りを見せ始め、9000m手前で先頭を引き出した。この時点で先頭は塩尻、西山和弥(トヨタ自動車)、荻久保寛也(ヤクルト)、井上大仁(三菱重工)、清水歓太(SUBARU)、相葉直紀(中電工)、茂木圭次郎(旭化成)、古賀淳紫(安川電機)の順で縦長の集団となった。
残り1周手前の直線で塩尻がスパート、9600mの通過は26分43秒、井上、荻久保が続き、西山が離される。残り200mで井上が塩尻を捉え更にスピードを上げ、荻久保を引き離す。後方からは物凄い勢いで茂木、清水が迫るも、そのまま井上が押し切り27分43秒17で1着、27分44秒17で茂木が続き、3着には荻久保が27分44秒74で粘り込み、清水27分45秒04、塩尻27分45秒18とゴールに雪崩れ込んだ。
井上は自己ベストを大きく更新したが、マラソンで2時間6分台を2回記録している事、マラソンを軸にトレーニングを行っていることを考えれば、これまで機会がなかっただけでこのくらいの記録はいつ出ていても不思議はなく、そうした意味では実力者の面目躍如、貫録を見せつけた走りだった。
茂木も昨年の日本選手権でマークした自己記録を更新。今年は28分0台と惜しい所で跳ね返されていたが、2度目の27分台はラストの切れ味が素晴らしかった。
荻久保は城西大時代から窺わせていたポテンシャルを開花させ、清水は地道に、着実にスピードを身に付けてきている。
塩尻も2017年大会以来久々の27分台で自己記録を更新し、実力の片鱗を示したが、8000m辺りで見せていた逡巡が少し惜しまれる。ラストの切れ味で勝負すると言うよりは、スピードを維持しつつ押していくタイプなだけに、もう少し早くディクをかわしてロングスパートを試してみるのも面白かったように思う。今大会では確実に自己記録を更新する事を優先した、というところだろう。次回の10000mで更にレベルの高い記録を期待したい。
27分台続出も世界との差 「長距離プロジェクト」のギアチェンジ
今大会ではB組で8名、A組で14名、計22名が28分切りを果たした事は冒頭すでに述べた。同日にこれだけの選手が27分台で走ったのは、昨年の日本選手権10000mで1組3名、2組で15名の計18名が記録して以来の2度目で、人数では今回が上回った。
これだけの選手が27分台の自己記録を持つのはケニアやエチオピア以外では日本と、16名を抱えるアメリカくらいのもので、このクラスの選手層の厚みに関しては世界に充分比肩しうる充実度を示しており、日本の男子長距離が長期低迷から、抜け出しつつ有ることが見てとれる。
しかし、まだ道半ばとは言え、ワールドクラスとの差を感じてしまうのは何故かと考えた場合、ケニア、エチオピア、アメリカとの決定的な違いは、26分台から27分台前半で走る事の出来る人数にある。日本選手は、27分40秒台、50秒台の選手がそのほとんどを占めている。
2000年代初頭までは、10000m27分台と言えばワールドクラス、国内でも一流ランナーの証と言えたが、現在では多くの長距離ランナーがターゲットに据える、切りの良い身近な記録と変わってきており、世界水準も30秒上がったと見て良いだろう。国内ではこの水準への意識がなかなか変わっていなかった。
また陸上人気の高いヨーロッパでは、スポンサーの意向も反映し、10000mよりも時間の掛からない5000mが大会で実施される事が多く、ダイヤモンドリーグでも長距離競技の主流は5000mとなっている。5000mの記録から類推すれば、ヨーロッパ圏の選手や、ケニア、エチオピア以外の北アフリカの選手、オーストラリア、ニュージーランドの選手の多くは10000mに挑む機会が少ないだけで、潜在的には日本選手よりも力の有る選手が多いものと思われ、こうした事も27分台で走れる選手が多い割には、国際舞台で結果を残せない要因の一つとして挙げられるだろう。
しかしながらリオ五輪からここまでの5年間では、比較にならないほど「世界の舞台を狙える位置に有る選手」の数が増え、競技レベルの底上げを図る事が出来たのは陸連長距離プロジェクトの確かな実績であり、この「世界の舞台を狙える位置に有る選手」達を「世界の舞台で互角以上の勝負ができる選手」まで、どのような強化方針で引き上げて行くのか、後を引き継ぐ新体制の高岡寿成長距離シニアディレクターの手腕に託される事になる。
長期に渡るコロナ禍で現状では難しいが、この状況が変わってきたら、力を付けた選手たちをダイヤモンドリーグの5000mに派遣してスピード強化を図るのも一考かもしれない。海外選手と日本の選手の差は、絶対的なスピード持続力の高さ、余裕度の違いに有り、その部分での差を埋めて行くには、実際に多く経験を積むのが近道ではないだろうか。
文/芝 笑翔 (Emito SHIBA)
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八王子ロングディスタンス 各組の結果(8位まで)
男子10000mG組
①日下聖也(日亜化学)29:22.90
②関 稜汰(警視庁)29:28.12
③荒川諒丞(サンベルクス)29:31.14
④山下侑哉(サンベルクス)29:36.21
⑤森谷修平(K-project)29:36.47
⑥折居卓哉(サンベルクス)29:41.01
⑦蟹沢淳平(トヨタ紡織)29:42.03
⑧小林 巧(セキノ興産)29:42.18
男子10000mF組
①北村友也(OBRS) 28:40.69
②岩室天輝(戸上電機製作所)28:44.52
③W・キプセレム(コモディイイダ )28:46.49
④細川翔太郎(セキノ興産)28:51.35
⑤米田智哉(セキノ興産)28:52.52
⑥辻村公佑(大阪ガス)28:54.21
⑦作田直也(JR東日本)29:04.79
⑧D・M・キトニー(TRACK TOKYO)29:11.64
男子10000mE組
①横山 徹(日立物流)28:26.34
②瀬戸祐希(中央発條)28:37.93
③樋口大介(中央発條)28:38.42
④吉田裕晟(三菱重工)28:38.58
⑤向 晃平(マツダ)28:39.64
⑥大隅裕介(マツダ)28:42.89
⑦宮澤真太(セキノ興産)28:43.60
⑧石川裕之(愛三工業) 28:47.08
男子10000mD組結果
①前田将太(日立物流)28:05.62
②難波 天(トーエネック)28:06.95
③武田凜太郎(ヤクルト)28:07.41
④下田裕太(GMOインターネットG)28:08.07
⑤山田泰史(愛知製鋼)28:08.48
⑥中山 顕(HONDA)28:09.92
⑦林 奎介(GMOインターネットG)28:23.02
⑧小椋裕介(ヤクルト)28:23.57
男子10000mC組結果
①大塚 倭(NTT西日本)28:10.57
②星 岳 (コニカミノルタ)28:14.12
③照井明人(SUBARU)28:17.89
④米満 怜(コニカミノルタ)28:19.46
⑤佐藤敏也(トヨタ自動車)28:19.52
⑥土井大輔(黒崎播磨)28:19.78
⑦川端千都(SGホールディングス)28:21.16
⑧服部勇馬(トヨタ自動車)28:22.86
男子10000mB組結果
①E・ケイタニー(トヨタ紡織)27:28.25
②J・ムオキ(コニカミノルタ)27:28.49
③マサイ・S(カネボウ)27:28.77
④伊藤達彦(HONDA)27:30.69
⑤太田智樹(トヨタ自動車)27:33.13
⑥S・キプロノ(小森コーポレーション)27:33.78
⑦P・ムルワ(創価大)27:35.29
⑧C・カンディエ(三菱重工)27:36.06
8位以下の28分切りの日本人選手
⑪鎧坂哲哉(旭化成)27:41.78
⑫松枝博輝(富士通)27:42.73
⑬村山紘太(GMO)27:45.09
⑯田村友佑(黒崎播磨)27:48.42
⑳相澤 晃(旭化成)27:58.35
㉑吉田祐也(GMO)27:59.14
男子10000mA組
①井上大仁(三菱重工)27:43.17
②茂木圭次郎(旭化成)27:44.17
③荻久保寛也(ヤクルト)27:44.74
④清水歓太(SUBARU)27:45.04
⑤塩尻和也(富士通)27:45.18
⑥相葉直紀(中電工)27:48.26
⑦西山和弥(トヨタ自動車)27:48.26
⑧潰滝大記(富士通)27:49.80
8位以下の28分切り日本人選手
⑨古賀淳紫(安川電機)27:51.64
⑩田中秀幸(トヨタ自動車)27:52.60
⑪大池達也(トヨタ紡織)27:53.45
⑫牟田祐樹(日立物流)27:56.25
⑬鈴木祐希(カネボウ)27:57.15
⑭野中優志(大阪ガス)27:58.38