第106回日本陸上選手権10000mが5月7日、今年7月に開催されるオレゴン世界陸上代表選考会を兼ねて国立競技場で行われ、女子10000mでは既に世界陸上の参加標準記録(31分25秒00)を突破している東京五輪同種目7位入賞の廣中璃梨佳(日本郵政G)が31分30秒34で昨年に続く2度目の優勝を果たし、世界陸上代表に内定した。トラック10000m初挑戦の東京五輪5000m代表、萩谷楓(エディオン)が31分35秒67で2位、参加標準記録を突破済みの五島莉乃(資生堂)が31分58秒97で3位に入り、世界陸上代表内定選手は二人となった。参加標準記録を突破していた小林成美(名城大)は33分35秒89の15位に終わり今大会での代表内定を逃し、不破聖衣来(拓殖大)は右アキレス腱周囲炎のため欠場し、この種目での世界陸上代表は難しい状況となった。
男子は東京五輪代表で日本記録保持者の相澤晃(旭化成)が27分42秒85で2年ぶり2度目の優勝を果たすも27分28秒00の参加標準記録には届かず、今大会での代表内定はならなかった。相澤と同じく東京五輪代表の伊藤達彦(Honda)が27分47秒40で2位となり、市田孝(旭化成)が27分49秒12の3位と続いた。エントリー選手中唯一参加標準記録を破っていた田澤廉(駒澤大)は28分06秒34で10位に沈み、今大会での代表内定を逃した。今大会で上位3名に入った相澤、伊藤、市田孝は資格記録適用期間の6月26日までに参加標準記録を突破すれば代表内定となる。
やはり廣中は強かった、そんなレースだった。今年1月に行われた全国都道府県駅伝で長崎県のアンカーを務めて区間賞獲得以降、レースに出場しないままのぶっつけ本番でそのコンディションを不安視する声も上がっていたが、終わってみればやはり東京五輪7位入賞の実績は伊達ではない。実際、4月には貧血による体調不良で2週間ほど練習が積めなかったと言い、レースの中では5000m手前でオープン参加のK・タビタジェリ(三井住友海上)の飛び出しにも反応を見せず、7000mからの仕掛けで五島と、ここまで優勝争いに加わっていた矢田みくに(デンソー)を篩に掛けて萩谷との勝負に持ち込んだ後も、8000m過ぎには萩谷に先頭を譲るなど、これまでの廣中からは余り見る事がなかった慎重さがところどころで垣間見られ、自身のコンディションに確信を持てていない様子が伺えた。そのような中でも萩谷のペースアップにも対応し、ラスト1周の叩き合いで一気に突き放すと、途中かなり先行していたタビタジェリを捉える寸前まで追い込んだところなど、ゴールが近付くにつれて本来のあるべき走りを取り戻していった底力は流石と言う他ない。ここに向かうプロセスの中で予定通りの調整が出来なかったにも関らず他を寄せ付けない強さを見せ付けて代表内定を勝ち取り、7月の世界陸上に向け、ここから体調を万全に整えて行くことが出来れば、東京五輪7位入賞以上の結果を残せるのではないだろうか。
2位に入った萩谷も昨年のクィーンズ駅伝での転倒の影響から調子を落とし、復帰レースだった1週間ほど前の織田記念の5000mでも15分38秒67に留まっており、本来の力からすれば復調途上といった印象だったが、初のトラック10000mとなったこのレースで立て直してきたところにオリンピアンの地力の違いが感じられた。レース後のコメントでは、「順位、タイムを意識せず、10000mを体感する事が目的で、その意味では合格点」とした後、「それでも廣中に又勝てず、悔しい」と付け加えた辺り、負けず嫌いな萩谷らしさが戻りつつあるようだ。標準記録を突破している「本職」の5000m代表選考会となる6月のトラック&フィールドの日本選手権では更なる上積みが見込め、萩谷本来の走りも戻ってくるだろう。
3位で代表内定をもぎ取った五島は、序盤から標準記録ペースでレースを引っ張り、代表を争うライバルの一人小林を早めに篩い落とすことに成功、おそらくこの辺りはプラン通りにレースを運べていただろう。しかし、その後のタビタジェリの飛び出しや7000m過ぎの廣中の仕掛けには対応できず、「止む無く」次善のプランである3位までにゴールすることに切り替え、廣中、萩谷に突き放されるまで先頭集団に残っていた矢田みくに(デンソー)との勝負に徹し、疲れの見える矢田を突き放して3位を確保した。五島としても、この大会へ向けての最終調整のレースとなったひと月前の金栗記念での5000mで15分30秒80とタイム、内容的にも参加標準記録をクリアした昨年12月のエディオンDCから初のハーフマラソンながら1時間8分03秒を叩き出した今年2月の全日本実業団ハーフにかけての絶好調期から比べれば思うように状態が上がってきていないことを踏まえて、最重要ミッションである「代表内定」を確実に果たすために後半は手堅いレース運びにに切り替えたものと考えるが、調整途上だった廣中、初の10000mだった萩谷の二人のオリンピアンとはまだ埋められない地力の差が有る事を痛感したのではないだろうか。自身でペースを作り、主導権を握りながら押していく事の出来る力があるのはエディオンDCで実証済みであり、世界のトップ選手と相まみえることを想定した場合、自身の得意なレースパターンに持ち込めなかった時や、駆け引きの伴うレースへの対応力が今後の課題となる。
男子10000mを制した相澤の勝因は8000m地点、最終盤まで勝負が縺れる前に、伊藤、田澤に先駆けて仕掛けを行い、伊藤得意のスプリント勝負を封印した事にあるだろう。田澤が本来の調子にない事をレース中に見切ったうえで確信を持って篩い落としに行った、勝負勘の冴えも見事だった。また伊藤に先着を許した前哨戦の金栗記念10000mから、コンディションをしっかりとこの大会に合わせて上昇させてきたことも2年ぶり2度目の優勝の要因だろう。2位になった伊藤はこの部分でのあと一押しが足りなかった。6000m辺りでは動きが硬くなり、やや顎が上がり始めて相澤のペースアップに対応出来なかったがそこからは「3着確保」と腹を括り、持ち味の粘りを見せながらラスト1周はいつものように絞り出し、調子が良くないなりにも2着をもぎ取って今後に望みを繋げた。
唯一参加標準記録を破っていた田澤は、動きに硬さが見られ、本来の走りを見せることなく今回の代表内定の条件である3位以内の確保ができず10位に終わった。
一昨年、昨年と2度にわたって五輪選考会となった日本選手権や、その日本選手権で2位に入った昨年には6月のデンカアスレティックスチャレンジで標準記録突破へのラストチャレンジに挑むなど、これまでも重圧の掛かる代表選考が絡むレースを何度も経験しているが、ここまで10000mでは4走連続で27分台を記録し、抜群の安定感を誇ったその田澤を以てしても、普段の走りを奪い、思うように体が動かずに雁字搦めになってしまう、それほどまでに「代表の本命」と目される事の重圧は厳しいものなのか。
いずれにしても、田澤にとっては悔やみきれない痛恨のレースとなってしまった。
今回上位3位までに入った相澤、伊藤、市田の中から一人が資格記録適用期間内に参加標準記録を逃した場合など、代表の可能性はまだ残されている。
今大会を振り返って、男子のレースでは序盤はオープン参加選手として出場したR・ケモイ(愛三工業)、C・カンディエ(三菱重工)のケニア人実業団選手二人がペースメーカー役を買って出て、2000mまでは標準記録ペースを上回っていたが、ここに付いた選手が京セラの研究者で市民ランナーながら日本選手権の資格記録を突破して出場に漕ぎつけた中村高洋のみで、田澤、相澤ら有力選手は間隔を開けて3、4秒後ろからレースを進め、これを気にしたカンディエが有力選手の位置までポジションを下げたり、ケモイも何度も後方に視線を送ったがそれでも間隔を埋めようとする選手がいないため已む無くという形でペースを落とした。その後もマラソンに重心を置く井上大仁(三菱重工)や鎧坂哲哉(旭化成)、5000mで代表を目指し、今回は調整の一環として出場していた松枝博輝(富士通)らが参加標準ペースからの遅れを懸念してトラックの10000mを主戦場とする有力選手達に活を入れるようにペースメーカーを煽ったが、反応は鈍かった。5000mを過ぎると一気にペースが下がって3着確保の意識が明確になったが、世界水準の記録を手に世界の舞台に立つという気概を見せる事よりも、目の前の勝負にこだわった事に物足りなさも残った。
女子も参加資格を持つ廣中、五島、小林の3人が共に復帰レースで有ったり、調子が下降気味であったりとそれぞれの理由があったにせよ、日本育ちのケニア人実業団選手、タビタジェリの逃げ切りを許した事を見ても、現時点でワールドクラスと対等以上に勝負できると実感が得られる走りを見る事ができなかったのは残念だった。
また、男子は出場選手が43名に上り、国内の競技水準が上がって選手層の厚さを感じさせるがその反面トップクラスは世界水準に届かず、女子は廣中が本調子に戻りさえすれば、世界水準で戦える力が有ることに疑いはないが、ここに出場した選手は16名、そのうち萩谷、森千香子、木村梨七(積水化学)の3人が初の10000m、7位入賞の吉川侑美(ユニクロ)も5000mの資格記録での出場と、トップクラスを追いかけ、競技水準を更に押し上げるだけの選手の絶対数が不足しているという対照的な課題が改めて浮き彫りとなった大会でもあった。
文/芝 笑翔 (Emito SHIBA)
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第106回日本陸上競技選手権大会・10000m
男子10000m1組
①大六野秀畝(旭化成)28:12.77
②林田洋翔(三菱重工)28:19.64
③難波 天(トーエネック)28:21.14
④小林 歩(NTT西日本)28:35.40
⑤山田泰史(愛知製鋼)28:44.93
⑥中西玄気(愛三工業)28:47.27
⑦中山雄太(日本薬科大)28:48.04
⑧武田凜太郎(ヤクルト)28:52.34
⑨加藤 淳(住友電工)28:55.97
⑩右田綺羅(トヨタ自動車九州)29:17.14
⑪大塚 倭(NTT西日本)29:17.70
⑫湯澤 舜(SGH)29:34.50
⑬桃澤大祐(サンベルクス)29:59.91
⑭松尾 淳之介(NTT西日本)30:08.67
女子10000m
①廣中璃梨佳(日本郵政G)31:30.34※世界陸上代表内定
②萩谷 楓(エディオン)31:35.67
③五島莉乃(資生堂)31:58.97※世界陸上代表内定
④川口桃佳(豊田自動織機)32:11.83
⑤中野円花(岩谷産業)32:13.01
⑥矢田みくに(デンソー)32:13.03
⑦吉川侑美(ユニクロ)32:18.01
⑧山口 遥(AC・KITA)32:20.33
⑨逸木和香菜(九電工)32:23.06
⑩筒井咲帆(ヤマダHD)32:32.44
⑪佐藤早也伽(積水化学)32:33.90
⑫森智香子(積水化学)32:52.96
⑬佐々木梨七(積水化学)33:18.69
⑭岡本春美(ヤマダHD)33:34.23
⑮小林成美(名城大)33:35.89
⑯佐藤成葉(資生堂)33:49.01
OPEN K・タビタジェリ(三井住友海上)31:29.73
男子10000m2組
①相澤 晃(旭化成)27:42.85
②伊藤達彦(Honda)27:47.40
③市田 孝(旭化成)27:49.12
④大池達也(トヨタ紡織)27:53.89
⑤太田智樹(トヨタ自動車)27:54.88
⑥松枝博輝(富士通)27:57.72
⑦森山真伍(YKK)27:59.90
⑧栃木 渉(日立物流)28:02.47
⑨塩尻和也(富士通)28:04.70
⑩田澤 廉(駒澤大)28:06.34
⑪鎧坂哲哉(旭化成)28:08.13
⑫茂木圭次郎(旭化成)28:08.71
⑬清水歓太(SUBARU)28:09.86
⑭丸山竜也(トヨタ自動車)28:13.15
⑮古賀淳紫(安川電機)28:19.74
⑯井川龍人(早稲田大)28:23.16
⑰池田耀平(カネボウ)28:26.35
⑱井上大仁(三菱重工)28:26.93
⑲野中優志(大阪ガス)28:29.40
⑳中村信一郎(九電工)28:47.07
㉑村山紘太(GMOインターネット)28:48.19
㉒西山和弥(トヨタ自動車)28:50.24
㉓川瀬翔矢(Honda) 28:58.05
㉔相葉直紀(中電工) 28:58.06
㉕川田裕也(SUBARU) 28:58.25
㉖三田眞司(サンベルクス)28:58.87
㉗細森大輔(YKK) 29:01.40
㉘岡本雄大(サンベルクス) 29:17.16
㉙中村高洋(京セラ鹿児島)29:24.82
OPEN R・ケモイ(愛三工業)27:42.19
OPEN C・カンディエ(三菱重工)27:46.46