第99回東京箱根間往復大学駅伝競走のスタートが直前に迫ってきた。
今年度の学生駅伝戦線では、駒澤大学が10月に行われた第34回出雲全日本大学選抜駅伝競走大会と、11月に行われた第54回全日本大学対校駅伝大会でいずれも優勝を果たしており、箱根も制して駅伝三冠がなるかに注目が集まっている。
そこで、まずは出雲駅伝が創設され、学生駅伝三冠路線が定着した1989年度以降、出雲、全日本の両大会を制し、三冠に王手を掛けていた大学がどれだけあったかを調べてみた。
1990年度 大東文化大学
1998年度 駒澤大学
2000年度 順天堂大学
2009年度 日本大学
2010年度 早稲田大学
2013年度 駒澤大学
2016年度 青山学院大学
2018年度 青山学院大学
台風の影響で出雲駅伝が中止となった2014年度、新型コロナウィルスの影響で同じく出雲駅伝が中止となった2020年度を除く32回の機会のなかで三冠へ挑む権利が有ったのはこの8度、ここから箱根を制し駅伝三冠を達成となったのは、
1990年度 大東文化大学
2000年度 順天堂大学
2010年度 早稲田大学
2016年度 青山学院大学
の4例だ。駅伝二冠から三冠への確率は50%、過去2度とも駅伝三冠のチャンスを逸している駒澤大に3度目の正直はあるのかという図式も浮かび上がってきて一層興味深い。 因みに三冠を逃した各大学の箱根の成績は、1998年度の駒澤大が2位、2009年度の日本大が15位、2013年度の駒澤大が2位、2018年度の青山学院大が2位と2009年度の日本大以外はすべて2位、また三冠を阻止した大学は1998年度は順天堂大、2009年度、2013年度が東洋大、2018年度が東海大だった。
駒澤大学の三冠を阻止したい大学の一つに、出雲駅伝、全日本大学駅伝でいずれも2位に甘んじた國學院大學が挙げられるだろう。この出雲、全日本共に2位となった大学の過去の例と箱根の順位は、
2005年度 中央大学→8位
2006年度 日本大学→2位
2012年度 東洋大学→2位
2013年度 東洋大学→1位
2021年度 青山学院大学→1位
となっており、下克上での箱根優勝の確率は40%だが、直近2例が優勝というのは國學院大ファンにとっては心強いデータといったところだろうか。
今年の、即ち2022年の箱根を制したのは青山学院大学。過去には2015年の第91回大会から4連覇もあるが、これも含めて今世紀に入った2001年以降、連覇を果たしている大学は2002年から4連覇の駒澤大学、2009年、2010年と連覇した東洋大学の三例。再び連覇が始まり、新たな歴史を刻むことが出来るのかも注目となる。
その青山学院大学に続き、今年の箱根で2位となったのは順天堂大学。2001年以降、悔しさをばねに翌年優勝を果たしたのは、
2001年第77回大会 順天堂大学
2002年第78回大会 駒澤大学
2012年第88回大会 東洋大学
2014年第90回大会 東洋大学
2020年第96回大会 青山学院大学
の5例。
初代山の神、今井正人を擁し優勝を果たした2006年を挟むが、順天堂大の2位は2000年以来の久々であり、その前回もライバルは駒澤大学で「紫紺対決」と呼ばれたものだが、今回はどのような結末が待ち受けているだろうか。
ここから先は今世紀に入った2001年以降の箱根駅伝の優勝にまつわる雑多なデータを紹介していく。
①多区間において襷を首位で繋いだケース
箱根に限らず駅伝では序盤の流れが重要視されるが、箱根駅伝に限って言えば、1区で先頭に立ち、そのまま各中継所を1位で襷を繋いで優勝を果たしたのは、今世紀に入った2001年の第79回大会以降では2016年の第92回大会の青山学院大学の一例があるのみで、難易度はかなり高い。
往路優勝を含めれば、2018年の第94回大会の東洋大学の例があるが、この際は6区で青山学院大学に逆転を許し、総合優勝を攫われている。
惜しかった例には、1区4位から2区設楽啓太でトップに立つと以降は全ての中継所を1位での襷渡しとなった2012年第88回大会の東洋大学と、1区大迫傑の好走から4区までトップで中継点を通過しながら5区で柏原竜二を擁する東洋大に逆転を許し、往路優勝を逃しながら6区で再び総合1位を奪い返して以降一度も譲ることなく優勝を果たした2011年第87回大会の早稲田大学がある。
②1区で大差をつけられながら総合優勝したケース
その逆に1区で大幅な出遅れとなりながら優勝を果たしたのは、2007年第83回大会の順天堂大学。この年は1区で東海大学の佐藤悠基が2位に4分1秒の大差を付け、今年の大会で中央大学の吉居大和が1時間0分40秒に更新するまで15年に渡り破られることのなかった1時間01分06秒の区間記録を叩き出して、順天堂大は4分44秒差の14位スタート、これは2001年以降のみならず1区の区間が現在と同じコースとなった1972年の第48回大会以降、優勝チームの付けられた最大のタイム差であり、2区終了時点のタイム差6分36秒は1983年の第59回大会、第3区終了時点のタイム差も同じく1983年の第59回大会に現在と同じコースになって以降最大の差であった。この窮地を一人で跳ね返したのが5区山登りの今井正人で、4区終了時点で4分09秒差の5位から逆転し、更に2位に1分42秒の貯金を作って優勝を果たし、復路もそのまま押し切った。
因みに昨年の97回大会では優勝の駒澤大学がトップとの差は47秒ながら15位と、優勝チームの1区の順位のワーストを更新している。
5区で今井以上の逆転劇を演じたのは2009年第85回大会の東洋大・柏原竜二で、4区終了時点で4分58秒の9位からの逆転を果たしている。翌年の2010年、第86回大会でも4分26秒の差の7位でスタートし、2位を3分36秒引き離す圧巻の走りを披露、この時の区間2位とのタイム差4分8秒も、一区の佐藤の4分1秒と同様に不滅の記録だろう。
③往路での大差から総合優勝したケース
2001年以降、往路終了時点での最大のタイム差を跳ね返し総合優勝を果たしたのは、2006年第83回大会の亜細亜大学。復路は2分51秒差の6位からスタートし、6区終了時点では1位の順天堂大から4分03秒差の7位に後退、7区終了時点では5位に浮上したものの順天堂大との差は3分55秒と8秒縮めるに留まったが、8区で順天堂大の選手が区間最下位のブレーキ、2位につけていた中央大、3位の山梨学院大の選手も軒並み不振で駒澤大学に首位が変わり、亜細亜大も8区終了時点で1分12秒差ながら2位に浮上、駒澤大の9区の選手のタイムが伸び悩む中、追いかけた現拓殖大監督の山下拓郎が区間賞の快走で先頭に躍り出ると、10区で2位に浮上した山梨学院大に1分40秒の差を付けての優勝となった。この時の6区、7区終了時のタイム差も、2001年以降では最大となっている。
亜細亜大が優勝を果たした2006年の第83回大会では8区以降で目まぐるしく首位変動が起こったが、こうした事はかなり珍しく、9区に入ってしまえば上位2チームに優勝が限られ、2001年以降では3位からの逆転劇は起こっていない。
今世紀に入ってからの9区終了時点での最大のタイム差での逆転劇は記憶に新しい2020年第97回大会での駒澤大で、創価大に付けられた3分19秒の差が、15㎞を過ぎてから創価大の選手に脱水症状か或いは低血糖のようなアクシデントが起こってみるみる差が詰まり始め、残り2㎞を切ってからの首位交代となり、最終的に52秒の差を付けての勝利となった。
④僅差・大差で総合優勝したケース
この第97回大会の52秒よりも僅差となったレースは早稲田大が駅伝三冠を果たした2011年の第87回大会と、東洋大初優勝の2009年の第85回大会で、最も僅差となった第87回大会は先述の通り柏原の力走で東洋大が往路を逆転優勝、早稲田が6区で抜き返し、7区終了時点では1分21秒に差を拡げたが、東洋大もじわじわと追い上げ、最終10区で山本憲二が21秒差まで追い詰めたが届かず、85回大会では4区終了時トップの早稲田を柏原が逆転し往路優勝の東洋大を6区で早稲田が抜き返すも8区で東洋大が再々逆転、その後は早稲田が差を詰めるも41秒届かず、という87回とは復路が真逆の展開で、この頃のこの2校の鍔迫り合いはとても見応えがあった。
逆に2001年以降最大の差を付けての優勝は、2位の順天堂大に10分51秒差を付けた今年、第98回大会の青山学院大だ。青山学院大は初優勝を飾った2015年の第97回大会でも2位の駒澤大学に10分50秒の差を付けているが、2位との10分以上差が開いたのはこの2度だけとなっている。
最後に、予選会からの勝ち上がりで優勝を果たした2001年以降唯一の例が、2013年第89回大会の日本体育大。往路の各区間で強い向かい風となり、特に5区でそれが顕著だった中、山登りのこの区間を担った服部翔大の快走で往路優勝を果たすと、復路でも首位の座を一度も譲ることなく大手町でゴールテープを切った。
ただ一度だけの例かもしれないが、スタートに立てばどのチームにもチャンスが有り、二日間に渡る往路107.5 km、復路109.6 km、計217.1 kmの長い道中で何が起こるか分からない、それが箱根駅伝最大の魅力なのだろう。
選手たちの一挙一動に瞬きすらできない熱い戦いとそのドラマに沸き上がる二日間まで、あと少しだ。
文/芝 笑翔 (Emito SHIBA)
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