市山翼が2時間7分44秒で日本人トップ、青山学院大の横田俊吾は2時間7分47秒で日本学生新記録、MGC出場権獲得は6名も、2時間6分43秒で優勝したハッサンの背中は遠く・・・第71回別府大分毎日マラソンの結果

第71回別府大分毎日マラソンが2月5日、大分市うみたまご前をスタートし、ジェイリーススタジアムをゴールとする42.195㎞のコースで行われ、1㎞3分ペースでゴールまで押し切ったジブチのI・ハッサンが、昨年の大会で優勝した西山雄介(トヨタ自動車)がマークした2時間7分47秒の大会記録を更新する2時間6分43秒で優勝を果たした。
35㎞手前までハッサンと競り合ったケニアのD・キプチュンバも2時間6分48秒と大会記録を更新しての2位でゴールし、3年振りに実現した海外招待選手のワンツーフィニッシュとなった。

日本人トップは自己記録2時間7分41秒を2021年のびわ湖毎日マラソンで記録している小森コーポレーションの市山翼が2時間7分44秒で3位となり、途中棄権となった昨年の大会から数えて都合4度目の挑戦にしてMGC出場権を獲得、青山学院大学の横田俊吾も、藤原正和現中央大学陸上競技部監督が2003年びわ湖毎日マラソンで打ち立てた2時間8分12秒の日本学生記録を20年ぶりに更新する2時間7分47秒で日本人選手2番手の4位に入り、学生では北海道マラソンでの柏優吾に続き二人目のMGC出場権獲得となった。
既にMGC出場権を獲得しているトヨタ紡織の聞谷賢人がフルマラソン三戦連続7分台となる2時間7分53秒で日本人選手3番手の全体4位に入り、2020年の東京マラソンで2時間7分20秒を記録して以来のフルマラソンとなったHondaの木村慎が2時間7分55秒で日本人4番手、2020年の第68回大会で2時間8分53秒の4位となって以来のフルマラソンだったSUBARUの小山司が2時間8分00秒で日本人5番手となり、共にタイムと順位によるMGCチャレンジシリーズの指定レースの要件を満たしてMGC出場権を獲得し、復活を印象付けた。
昨年のベルリンマラソンで2時間7分50秒をマークし優勝候補の一角に上げられていたトヨタ自動車の丸山竜也は2時間8分26秒で8位だった。
また、昨年の東京マラソンで2時間10分43秒をマークしたJR東日本の作田直也は2時間9分06秒、昨年の大阪マラソンで2時間8分50秒で走っている住友電工の村本一樹も2時間9分41秒でゴールし、それぞれMGCチャレンジ期間中二本のレースの平均が2時間10分を切り、ワイルドカードの規定によってMGC出場権を獲得、今大会でのMGC出場権獲得選手は6名、シリーズを通しては48名となった。
2時間8分48秒と2時間9分を切ったトヨタ自動車の安井雄二は日本人選手7番手でMGC出場ラインに届かず、35㎞手前まで日本人選手トップに位置していた旭化成の市田孝も2時間9分15秒でMGC出場権獲得はならなかった。
2時間6分51秒とエントリー選手中最速の自己ベストを持っていたヤクルトの小椋祐介は30㎞手前で集団から離されて2時間32分20秒の126位、2020年の第68回大会で優勝を果たしているモロッコのH・サハリ、リオ五輪10000m代表で初マラソンとなったGMOインターネットグループの村山紘太は途中棄権に終わっている。

日本人トップ争いは白熱したが、物足りなさも

2時間7分台が4名、8分台が3名にMGC出場権獲得者は計6名と結果を見れば一定の成果は有り、また日本人選手達のトップ争いは非常に見応えがあった反面、詳細に見て行くと昨年暮れの防府読売マラソン、福岡国際マラソンに続き、MGCチャレンジ指定レースで日本陸連の定めるブダペスト世界陸上派遣設定記録、2時間7分38秒を突破する選手は現れず、ペースメーカーがレースを外れる30㎞からそれまで刻んできた1㎞3分のペースを維持し、最後までこのペースで押し切った海外招待選手と勝負できる選手がいなかった点もまた福岡国際マラソンと同様で、けしてそうではないのだが、ここ2年程日本の長距離選手の競技力が更に上がってきたと見えていたのは、海外選手が参加しない事で国内レースの上位を日本人選手が占めた事による錯覚だったのか、との考えが脳裏を掠めるほどに、コロナ禍に入る前に時が戻ってしまったような、好記録が出てもやや物足りなさの残る、評価の難しいレースでもあった。

今回のレースでも課題となった30㎞直前の場面では、D・ニャイロ(NTT西日本)N・キプリモ(日本薬科大)、C・K・ワンジク(武蔵野学院大)らペースメーカー5㎞ごとのスプリットをほぼ設定通りの15分1秒から3秒で刻んでいたが、累積で生じていた遅れを30㎞通過設定タイムの1時間30分00秒に少しでも近づけようとしたためか29㎞過ぎの弁天大橋の下り辺りからペースが上がり、海外選手を含む20名ほどの集団も縦長になった。
ハッサン、キプチュンバの海外招待選手はすぐさまPMの後ろに取り付いたが、それまで集団前方に付けていた作田、MGC出場権を獲得している三菱重工の定方俊樹の弟で、初マラソンとなったマツダの定方駿といった辺りは位置取りを下げ、集団後方にいた聞谷はポジションを上げるのに手間取っていた。
30㎞でレースを外れるキプリモを発射台に、まずキプチュンバが飛び出しを見せ、ハッサンが続いた。
日本選手では市田孝が反応を見せていたが、キプチュンバを追ってキプリモと市田の間を縫おうとしたハッサンに弾かれ、体制を整えている間に差が開いた。
市田の後方では共に市田を追う選手を探すように周囲を窺っていた市山が意を決して単独で追い始め、聞谷、木村、横田、小山、昨年の大会で2時間8分51秒と好走したトーエネックの中西亮貴、2時間9分15秒でゴールすればMGC出場に手が届くトヨタ自動車九州の大津顕杜、順天堂大時代の昨年の東京マラソンに続く2度目のフルマラソンながら健闘を見せる西鉄の津田将希の7人と、昨年の北海道マラソンでも意欲的なレースを見せたNTT西日本の小松巧弥、作田、安井、丸山、村本の5人とに、数秒の差ながらも集団が分かれた。

市田はPMが外れる前の段階でレースが動く事の想定が出来ていたようで、キプチュンバ、ハッサンをマークする位置取りに変えて、素早く反応が出来るよう準備を整えていたが、他の選手はそれまでのペースに嵌っていて対応が遅れたか、この地点で棄権となった定方のようにここまで付くのが精一杯だったのか、或いは市山、木村などMGCへのラストチャンスに賭ける選手が多く、ここで無理をして最終盤に脚を無くすよりは日本人選手同士の争いを優先する手堅いレースをするために敢えて対応しなかったのか、いずれにしてもキプチュンバに追いついたハッサンの35㎞までの5㎞のスプリットが14分59秒と瞬間的に上がったペースが元のペースに落ち着いたにも関わらず、その差は徐々に開いて行った。

これまで幾度となく1㎞3分を切る高速レースの中間点過ぎまでは先頭集団に加わってレースを進める事が有った市田だが、悉く中盤以降に大きくタイムを落とし、30㎞までこの位置に残っているのは初めてで、以降は未知数なところも有り追って追えない差では無かったが躊躇もあったのだろう、差がなかなか詰まらないと見ると、追ってきた市山と二人で前を追う事を選んだ。
市山は一度集団から抜け出して市田を捉えたのであれば、追い付いてからは市田に変わりそのペースで引っ張るべきだったかもしれない。しかし、過去3度のレースでMGC出場権獲得を逃している事も有り、ここからのペースアップには慎重な様子が垣間見え、市田の前に出る事は無かった。
後方で丸山、作田らのグループが前を行っていた聞谷、木村らのグループに追いつき、その間に小松、村本が置いて行かれてグループは縦長の10人の隊列に変わり、聞谷、木村、小山が先頭を交代しながら引っ張って、35㎞手前の折り返しで市山と市田はこのグループに吸収された。ここまでに安井がすでに集団から遅れていたが、35㎞を過ぎて中西、大津、津田が次々と脱落、帰りの三海橋では作田も付けなくなり、橋の下りで市田も力尽きた。

集団を引っ張るのは小山と聞谷で、市山、木村、横田、丸山の6人に絞られてからは、残り5㎞を切って丸山が脱落、39㎞過ぎには聞谷が仕掛け、小山と横田が苦しくなったが、決定的な差を付けるまでには至らない。
40㎞通過時点で、折り返し手前でキプチュンバを引き離し、独走となったハッサンと聞谷、木村、市山の差は49秒、やや動きの落ちてきたキプチュンバとの差も37秒に開き、レースの焦点は6秒差で3人を追う横田、小山を含めた5人による日本人トップ争いに移っていた。
40㎞を過ぎて今度は市山が仕掛けるも、聞谷、木村も粘り、更にその後ろからは小山を振り切った横田が差を詰める。
ハッサンが2時間6分43秒で、その5秒後にはキプチュンバが順にジェイスタジアムのゴールテープを切り、市山、横田、木村、聞谷、小山の日本人選手も次々にトラックに飛び込んだ。
まず市山が2時間7分44秒で、そして横田が2時間7分47秒、木村を抜いた聞谷が2時間7分53秒、木村が2時間7分55秒、小山が2時間8分00秒でのゴールとなった。

市山は残り5㎞を15分15、6秒で走っており、決して遅くはないのだが、優勝したハッサンはジェイスタジアムへの取り付け道路に入る直前にコースを間違えるロスがあったにも拘らず14分58秒と15分を切り、2位のキプチュンバはハッサンを上回る14分53秒で特に40㎞以降のの2.195㎞は6分26秒と1㎞2分55秒ほどにまで上げるラストスパートを見せており、やはり1㎞3分ペースでレースを進めながらも、尚且つ残り5㎞で15分を切る力がなければ、このレベルの選手に対抗するのは厳しいということなのだろう。
ベルリンでは後半ハーフが前半より速いネガティブスプリットで7分台をマークしてMGC出場権を獲得し、このレースに挑んだ丸山も、1㎞3分ペースのレースとなると後半に脚を残せない課題の克服には至らず、ベルリンでの40㎞以降の6分33秒、2020年のスローペースだった防府で記録した6分14秒のような爆発的なスパートは不発に終わった。

ハッサン、キプチュンバは共にこれまでの実績からは世界のトップレベルとは言い難く、自己ベストや優勝を目指して競い合うには格好の相手ではなかっただろうか。その点で言えば、既にMGC出場権を獲得していた聞谷は、三戦連続で2時間7分台でゴールした安定感は高く評価できるが、2時間4分56秒の日本記録を持つ富士通の鈴木健吾らと相対することとなるMGCを見据え、2時間6分台などもう一段レベルの高い記録へのこだわりも求められるレースではなかったか、とも思う。

一方で、この20年間誰にも破られることなくアンタッチャブルレコードとなっていた藤原正和の時間8分12秒の学生記録を塗り替えた横田は、3区で8位となった箱根駅伝から一月ほどの準備期間ながら昨年一度走った経験を活かし、想像以上の大健闘を見せた。
距離走は35㎞までだったそうだが、箱根に至るまでの過程において、夏合宿等で距離を踏み、体力作りに励んできた事も激走に結びついた一つの要因なのだろう。
10000mで28分台の記録はあるが、特に秀でている訳でも、効率的なフォームで走っている訳でもないが、右腕でリズムをとる独特の腕振り、しなやかに伸びるストライドと柔らかな接地は見た目以上にマラソン向きなのかもしれない。
これからマラソンに本格的に取り組めば、どこまで伸びていくのか楽しみだ。

また、2021年のびわ湖で2時間6分51秒を記録、その後の2度の疲労骨折からの復活を目指していた小椋祐介は25㎞を過ぎて先頭集団から離され、その後一度は追い付く執念を見せたが、28㎞過ぎの弁天大橋の登りで再び引き離された際には左腕の振りも弱く、脚を庇うような走りとなっていた。小椋の流儀として完走は果たしたが、やはり故障の後は、以前のように練習で追い込むことが出来ていなかったものと思われる。
好調時には、42,195㎞のなかで起きる様々な局面において何が最善かを知り尽くしているような冷静さと、後半の粘り強さを見せていただけに、ここで終わってしまう選手ではけしてない。

2022年は海外のマラソンでも好記録が相次ぎ、コロナウィルスの蔓延で大会の中止が相次ぐさなか、鈴木が2時間4分台を記録して縮りかけた世界との差もまた開きかけている。横田の他にも、2度目の7分台を記録した市山、ベテラン木村と小山の復活に加え、35㎞まで日本人トップ集団に加わったスピードランナー市田と若手の津田の奮闘と今後に繋がる要素も多かったが、鈴木や大迫傑(nike)といった世界と戦える力の有る代表クラスの選手層を厚くするためにも、小椋以降は遠ざかっている、2時間6分台を記録する新たな選手の誕生が望まれる。

文/芝 笑翔 (Emito SHIBA)

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