その日、福井県営陸上競技場・9.98スタジアムで起こった出来事は陸上界の「奇跡の夜」として多くの陸上ファンの記憶に刻まれている。
2019年8月17日に開催された第1回 Athlete Night Games in FUKUIは、男子110mHの金井大旺や、800mの村島匠ら当時福井県スポーツ協会の所属だった選手の、「欧米のナイター大会の様に、選手も観客も楽しめて盛り上がる大会が国内にもあったらいいね」という会話を聞いた福井陸協の関係者がその実現に向けてプロジェクトを立ち上げ、不足しがちな運営資金はクラウドファンディングによる陸上ファンからの支援で賄い、金井、村島も実行委員に名を連ねて大会の趣旨を説き、賛同する選手の参加に奔走、ドーハ世界陸上を目前に、また翌年には自国開催の東京オリンピックを控え、その参加標準記録の突破や日本記録更新を目指す大会として開催に漕ぎつけていた。
陽が傾いた薄暮のスタジアムで競技が開始された男子走幅跳の1回目の試技。
右脚でトトン、トトンと小刻みにリズムを刻みながら息を整え、集中を高めた橋岡優輝(当時日本大、現富士通)は助走に入ると徐々に加速、踏み切ったその身体は宙を舞い、8mを大きく越えて着地した。
8m32、橋岡を指導する森長正樹(当時日本大)が1992年に静岡国際でマークした8m25の日本記録が、27年の時を経て愛弟子によって更新された瞬間だった。
記録が表示されると、橋岡は森長とがっちりと握手を交わした後、詰めかけた5000人の陸上ファンに両手を挙げて一礼し、その拍手に応えた。
その僅か数十分後、スピードに乗った大きなアクションの助走から弾かれたように跳び出した城山正太郎の3回目の跳躍は、まるでスローモーションを見ているように滞空時間が長く、そして雄大だった。
表示された記録は8m40、橋岡に続き、城山によるこの日2度目の日本記録更新にどよめきが起こると同時に、会場は大きな拍手に包まれた。
競技は継続中だったが、城山は祝福の声を掛ける選手、関係者に握手を交わし、自身の3度目の跳躍を控えながら駆け付けた橋岡から差し出された右手もしっかりと握り返した。
記録の連鎖は男子走幅跳に留まらなかった。
いつの間にか夏の陽は沈み、9.98スタジアムは夕闇に包まれ、スタートラインに立つ選手たちをカクテルライトが照らしだすなか、。女子100mH決勝では、この年、2013年の引退から6年振りに競技に復帰した寺田明日香(当時パソナグループ、現ジャパンクリエイト)が真っ先にゴールを駆け抜け、2000年に金沢イボンヌ(佐田建設)がマークした13秒00に並ぶ日本タイ記録を叩き出すと、男子110mHでもこの大会の3週間ほど前、金井大旺、泉谷駿介(順天堂大)の3人で分け合っていた13秒36の日本記録を13秒30としていた高山峻野(ゼンリン)が13秒25でフィニッシュ、この日3度目となる日本記録更新に、会場のボルテージはますますヒートアップ、最終レースの男子100mでは4つ目の日本記録こそならなかったが、会場となった9.98スタジアムの由来となった、9秒98を東洋大時代の2017年の日本インカレで記録した桐生祥秀(当時東洋大、現日本生命)が10秒05の好タイムで優勝を果たして締め括り、第1回 Athlete Night Games in FUKUIは数々の好記録の余韻を残し大成功裡に幕を閉じた。
その後、橋岡優輝は秋に行われたドーハ世界陸上で8位に入賞、2021年には1年延期のうえ開催された東京オリンピックで6位と、この大会をきっかけとして世界の舞台で入賞を果たし、城山正太郎もドーハ世界陸上では橋岡と共に決勝に進出し10位となった。
寺田明日香はこの2週間後に行われた富士北麓ワールドトライアルで12秒97を記録して日本人女子選手で初めて12秒台突入を果たしてドーハ世界陸上代表となり、高山峻野もドーハ世界陸上では準決勝に進出し、決勝進出にあと一歩に迫る活躍を見せ、これらの事が女子100mHで福部真子(日本建設工業)が12秒69まで日本記録を押し上げ、また男子110mHでは泉谷駿介のブダペスト世界陸上5位、村竹ラシッド(JAL)のパリオリンピック5位と二大世界大会で決勝に進出し、メダルを争うレベルにまでなった、両種目の競技水準の目覚ましい向上に繋がっている。
あの夜から6度目の夏を迎えた今年、7回目の開催となるAthlete Night Games in FUKUIは、自国開催の東京世界陸上の資格記録の期限となっている8月24日まで残り10日を切り、代表選出へ向けて各選手が追い込みをかける中で行われる。
第1回大会の100mを制した桐生祥秀は、8月3日に行われた富士北麓ワールドトライアルで世界陸上参加標準記録の突破を果たし、今大会への出場を見合わせたが、男子走幅跳の橋岡がまだ実現できていない、あの時の城山が記録した8m40越えを果たして日本記録を更新し、世界陸上代表に近付くことが出来るのか、今季で競技の第一線から退くことを表明している女子100mHの寺田が、世界陸上代表へ奇跡を起こせるか、福部真子は富士北麓、オールスターゲームズで二度阻まれた世界陸上標準記録を突破し「三度目の正直」とできるか、また既に代表に内定している村竹ラシッドは日本人選手初となる12秒台に、200mの鵜澤飛羽(JAL)は19秒台に突入を果たす日本新記録がなるかなど、選手たちが記録にも記憶にも刻まれる第一回大会を上回る、「真夏の夜の夢」を見せてくれることを期待したい。
文/芝 笑翔
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